2009年1月9日金曜日

オープンな競走社会「93制教育制度」の実現は、むしろ地方人が的確だ。何故民主党は愛知10区に地縁なき杉本を推薦するのかと呆れる

大した犠牲を払わずして民衆を指揮する政治家には国民はうんざりしている。さっさと自らの身を処して欲しい。

道路拡幅という公共事業は、道沿いの住民の基本的人権を常に保障の上肯定される。公害から身を守る国民各位の人権は、法で保障されており何人も冒す事は出来ない。

来るべき民主党政権に、国民的批判が始まった時に、真の日本の民主主義は一歩前進する。

「先ず学問ありき」の観念論は、個人地域を問わず衰退の途に繋がる。木曾河川の管理権は、国から県という地方団体へ委譲する期が訪れた。

この地に生きてきた人々の生活の糧として支えてきた祖先伝来の田畑、何世代にもわたり此処の住民に生存に不可欠な食を提供してきた田畑が、国交省によって買収され国営公園に様変わりする計画だ。全国屈指の富裕県として知られる愛知の中では、再三指摘して止まない様に当市は、一人前の法人が無い為最財政難市に属し、大半の住民は早朝から夜遅くまでの遠距離通勤を強いられている。江南市民の大多数が、この広大な公園を散策する様な姿を夢を見て、悠長な事を言っている場合ではない事位は、誰もが認める処だ。
果たして我々のご先祖様達は、命を何百年と育んできたこの一帯の田畑が、実生活に役立たない途に供される事等断じて望んでいない。
木曽川沿岸の村民は、豊かな水の恩恵に浴しながら一方ではこの大河川と直面し旧建設省と何世代にも亘り協力し合って治水に取り組んできた。
しかし、近年に見るが如くに、当河川には水すら探し出すのに大変だ。「出会いがあれば必ず別れがある」のがこの世の生き物の運命だ。夫婦だって死ぬ時は別々で同じ棺桶に入った事例は今だ嘗て地球上に存しない。
水が殆ど皆無のこの河川を、国交省「旧建設省」が管轄する時代は、とっくに過ぎた。両者には別れの時が訪れたのだ。
もっと身近な県等の小さい自治体が管轄して、住民の生計、市の財政に資する様に施策すべきだ。さもなくば、この一帯の田畑が無用の長物と化し泣く事明白である。
未だ近代史に属する明治時代の初期には、木曾沿岸の村民は、一宮村民「現一宮市」よりも遥か裕福であった。
学問でもスポーツでも芸術でも、「先ず学問ありき」の観念論は、個人と地域を問わず衰退させる。貧乏人、貧者番付上位の県の発想でよこしまだ。個人の生計、地域の財政が潤えば、呼応して学問スポーツ芸術は自ずから追随するのが世の慣わしだ。


お元気ですか?職業人の前に一国民である事を認識している聡明な全国の公立高経由の皆さん!命を掛けた身を挺して社会に貢献した方々のみが政界を指揮する、即ち素晴しい方々を選んだ聡明な米のCNNの皆さん!須らく量より質を重んずる世界のリーダー国英のBBCの皆さん!英国と同様に最高質の樫の木をこよなく愛する独の皆さん
健康第一、少しでも長生きしてこの日本に多すぎる悪党を打ちのめしましょうね!



人間の価値は寿命だけで計られるべきではない。されど我輩は少しでも長生きして多すぎる悪党を打ちのめしたから死にたい。
一、
この国日本人の寿命は、世界一であり続けている。他方貴方方の国は、如何に社会福祉や医療が遥かに発達していようが長生き王国日本人には適わない。
面長で鼻筋が通り頭脳や腕が発達しているコーカソイドの皆さんが、頭脳も腕も腰も脚力もそこそこの詰りバランスのとれた日本人に寿命で勝てる筈がない。老人になるにつれて、体内の血の循環が物を言うからだ。バランスそのものが果たして価値あるものかどうかは、疑問となってくる。
我輩は、純粋な日本人であるが先祖からの遺伝子で体質は、完全にコーカソイド型だ。近年腰が弱ってきてジム通いの毎日で、散歩を再開しようと思っている。
少年時代はこの腰の弱さは、長距離走が苦手とか直ぐに下痢をもようするといった程度だったが、この壮年に入ると歩くと先ず腰が直ぐに痛くなる。体の最も弱い部位から衰弱し始めるからだ。

確かに人間いや生きるもの全てが、寿命とか生命力では断じてなくて、長生きでなくても社会に資すればそれでいい。之は森羅万象の不滅の法則だ。
されどこの国日本には、余りにも悪党が多すぎる。死ぬにも死に切れない。長生きしてこのダニをやっつけてから死にたい。
当市には曼陀羅寺という広大な境内に無数の藤を植えて藤の花見で、観光客を呼び市外からお金を集めている。文句のつけようの無い逸策だ。

我輩は、この家が建立した直後に何気なく藤を一本屋敷に植えた。大大失敗だった。働き場所が無くて長らくこの地を後にした間に多くの他の木々は、身内の者の管理伐採によってすっかり姿を消したが、藤だけは今も生存している。蔓を毎年3-5回根元から切って頂いても根が5メターもあるコンクリート打ちを掻い潜って彼方此方に新たな株を作り蔓が伸長し始める。よほど広い屋敷で無い限り屋敷内に藤だけは絶対に植えるべきではない。さもないと家そのものを壊してしまうからだ。
要するに生きとし生きる物全てにいえる事は、下等なもの程繁殖力、生命力が強いと結論付ける事が出来る。
樹木でも森の王様、独英の国家象徴の木である樫は、一度根元から切ってしまえば万事休すのか弱さだ。
犬でもシェパード、エアデールテリア、コリー等の名使役犬は、雑菌に対する抵抗力が弱く生命力、繁殖力共に遥かに雑種や駄犬よりも弱い。
人種でも又然りだ。コーカソイドは、生命力、繁殖力共特に繁殖力が弱い。
世界総人口:60,6億人
内訳
アジア人「中国人、インド人、東南アジア人」:36,7億人
ヨーロッパ人:7,3億人 北及び中央アメリカ人:4,9億人 南アメリカ人:3,5億人 
計:15,7億人「ちなみに之は中国人:12,8億人とインド人:10億人の総計よりも遥かに
少ない」
アフリカ人:7,9億人



二、
98%農地解放で国家に没収された生家でも、宮後の戦前の小作人とは桁違いの田畑山林を有する。この恵は、何代にも渡る先祖が非力な体力ではなくて頭脳に頼り続けた事の所産だ。今日的な土木工学と機械工学の分野での絶え間ない、研究、試行錯誤による進歩、実践という犠牲を払い続けたからだ。後進の一握りである我が家族も飼い犬も過酷とも思われる野良仕事の精励に犠牲を払い続けたからに他ならない。多くの親族の命を失った犠牲にも何度も遭遇した。
1、
我が家系は、江戸時代中期から木曾の水流を利して、水車業や水運業を代々家業としてきた
家歴を有する。どの家庭よりも多くの田畑が農地解放で戦後98%が国家に没収されたとはいえ今日でも分家の我が生家でも桁違いに所有の田畑は多い。しかしこの恵は断じて棚から牡丹餅ではなくて、脈々とご先祖様達が常に頭脳を使い研究と試行錯誤による進歩と実践を怠ら無かったばかりか、後進の子孫の私達が言語、想像に絶する犠牲を払ったからに他ならない。
2、
1)
何世紀にも亘り屋敷の外には大河川木曾の水が大海原となって滔々と流れていた。この水量を徐々に少なくし、この水流の勢いを徐々に弱める、今日的土木技術の知恵である。
屋敷内にいくつもの小堤防を造ったり、遊水池をいくつも造って、屋敷内では極小なさらさらと流れる小川を造らねばならない。
ロシアのサンクトペテルスブルグに滞在中、痛感したことは我が先祖と同じ原理を応用している事だった。日本のジュースはビンの最上部にねじ方の栓が一つ付いているだけだ。従って、誤って栓が外れてビンを倒してしまったら、一気にビンの中のジュースは溢れ出てこぼれてしまう。
しかし、そこでは紙の箱型ビンで、最上部には、先ず第一に、紙がピールシェル状「夏みかんの皮剥き状」に穴が空けられている。次にキャップ型のねじなし栓がつけられている。ラーメン店の胡椒の小瓶もこの原理である。
従って、こんな簡素な栓でも逆さまにしても大丈夫である事だ。
2)
次には屋敷内の彼方此方に流れる小川に取り付けられた水車の円運動を、杵で精米にするのだから上下運動に変換する滑車の考案、少なくとも最低、出来上がった精米を取り出す時には一時的にこの上下運動を停止する装置等など今日的機械工学の工夫である。
更にそこでは決して水量は多くなく且つ水流は勢いが無いので、水車の構造自体をより水の流れに大きな抵抗を受ける様に改良しなければならない。これも機械工学の分野である。
従って、我が小澤本家には常に設計と製作で試行錯誤する為に、身近な所に巻尺、墨糸、定規、木板、ノコギリ、和紙が常備されていた。


「報恩に感謝」は、商取引の倫理である。滝実創業者ばかりか小澤家はこの施しの精神で大財産を築き上げた。今で言う「慈善事業」だ。
3、
大八車とか馬車で素米、玄米を遠路はるばるご持参して頂いたお百姓さんには、長い飯台に超超新米を炊いたこのほかほかのご飯に味噌汁やしばしば桑名産の海から運ばれた魚類を供したそうである。
五目飯も供された。
従って、「沢重に聞けば美味しい物をご馳走してもらえる」と好評を広範囲に得て、之を楽しみに
遠方より玄米等を荷車で引いて来られる方々は、常に途切れる事がなかったのである。
詰り、慈善事業的商法と報恩に基づく徳行である。お金を設けさせて頂く取引先には、恵を惜しみなく施すべきは商取引の倫理である。アメリカでは、日本の三菱、トヨタ級クラスの大財閥に相応するロックフェラー一族が財団を作りあらゆる分野の不運な敗残者の方々に救済の手を伸ばして慈善事業を施している。口先だけの企業倫理を唱える日本の大財閥人とは余りにも乖離している。

此処で結論付けると、我が先祖様達は、常に頭脳を精一杯働かせて来たからこそ、無類の財を成したのである。宮田村だけでも水車屋は10軒程あったが、ダントツで隆盛を極め続けた裏には、並々ならぬ今日的土木工学と機械工学分野での研究、試行錯誤、進歩、実践という絶え間ない大きな努力犠牲が払われたからに他ならならない。進歩には失敗はつき物である。時にはしばしば極身近な親族の命を奪われたという悲惨極まる犠牲も強いられた。その数は、大多数の小作人、水のみ百姓とは比肩の範疇ではない。


4、
我が係累は、7人いたが成人まで生き延びたのは兄、私、妹の3人だけだ。分り易い話だが我々この3兄弟も少年時代に桁違いの苦労に耐え忍んできたが故に、桁違いの祖先からの報恩に今日になって蒙ることが出来る次第だ。
不在地主として何世代に亘る土地を没収された旧地主の土地感覚は、農地解放によって大きく変わり、「田畑を他人に貸したら帰ってこないと同じ」へと豹変した。
結果、「自分の土地は自分で耕作せよ」という発想が生まれた。何町もの田畑を家族だけで耕すのは至難の業である。「いかに駄々くさ、粗雑に作物を作ろうが、、、」である。2歳年上の兄は、小学低学年から両親に連れられて農耕の手伝いをしたものだ。その頻度は、全同級生の誰よりも多く、よって中学時代には肺結核となり約1年半を休養し登校していない。当然な話だ。
祖先から強靭な体を与えられた兄、生まれた瞬時から当時としては恵まれた食生活に浴してきた兄だからこそ辛うじて生き延びたが、凡人家系の子息ならば間違いなく他界に及んだ事だろう。「ジロー」と言う飼い犬が畑でマムシに咬まれたが、秋田犬だったので一命を食い止めた。
口から泡を吹き家族の誰もが駄目だと思った。日本犬から心臓の強さ、洋犬から立派な体格と言う並外れた強靭な遺伝子を受け継いだ、日本屈指のブランド犬であったが故にのみ一命を取り戻したのだ。蛇足ながら、我が生家の代々の飼い犬達は、いずれも世界の名犬シェパードと言えども例外なくリアカーを引っ張ったり田畑に駆り出されたものだ。

言うまでもなく、兄も私も真冬の寒風吹きすさぶ中でも炎天下の盛夏でも、野良仕事に連れ出される過酷労働を嫌でも強いられるのが常でだった。
農家とはいえ、5反程の田畑を持つ家の子供等は全く事情が違い病気になる筈がない。外国語放送で未成年労働の残酷さとか禁止問題がよくテレビで放映されるが、そんなものではない。

2つ年下の私も勿論小学校低学年時より、同級生の誰よりも多く家の農耕の手伝いを強いられた。こんな過酷な幼年期少年期の身体の酷使が、今日の身障者へと連なっている遠因の一つになっているかもしれない。蛇足ながら、父も兄も私も学校通いという逃げ場があったが、母にはそれがなく一面では過酷な野良仕事で苦労する為に、この世に生まれてきた様な同情すべき女性であった。

現在私は分家を江南市宮後町に置いている。この辺りの土着の旧家には、掛布とか三輪とか斉木とか安藤とかの姓が多いが、所詮戦前の水のみ百姓、小作人であって、今日でも我が本家とか少し下流の八橋家等が有する田畑の広さとは桁違いの少なさで、比肩の範疇ではない。
何故両者にこんなに大きな差が生まれたのか?前者は、人間に一番大切な頭脳に頼る事なく非力な体力に甘んじたから、多くの民衆に徳を施し慈善奉仕精神が希薄だったから、今日現在においても他人の立場に立って物を考える知能、詰り社会常識が無いから、、に他ならない。
よく図々しくも5反前後の農家の者が、農業について語るものだと何時も心底から呆れる。
彼等愚衆には社会常識等あったものではない。戦後の成り上がり者、成金の範疇に入る輩だからだ。
その点、我が親族の日本的学者には、決まって農学者が多いのは永い家系の流れが織り成した所産で、氷山の一角と看做すことが出来る。

我が家が建立された35年以上前には、直面する道路は舗装さえなされていなかった。林、雑木林、田畑、桑畑が見渡す限り延々と延びていた。空気は澄み清かった。
近年は、車の往来で排気ガスを撒き散らし高蜜な炭素汚染空気地域へと化している。勿論誰もが道路が舗装され拡幅されれば、こうなることは容易に予想が出来た。こうなっては植樹によってのみ此れから逃れる事が出来る。
市と県の当道路拡幅工事に伴って必然的に生じる半端で形状が異常な残存地は、既に建っていた道沿いに直面している既存の家主達が全部連連と滞りなく悉く例外なく買い取っているのが実情なのは、前記の事由による。
遠くかけ離れた家主が、かかる残存地を平気に厚顔にも買い取って、駐車場に身勝手に供しているのは、例外中の例外であり、この全道沿い中我が屋敷に隣接する地主2軒だけだ。他に一例もない。
仕事上万やむを得ずこの地、愛知の最貧乏市愛する江南を後にした私だが、ともあれ空き家とは言えども既に画然と我が家が建っていたのだ。
かかる意味に於いて、前2軒の家主の社会常識の無さには呆れるばかりだ。
当市では県及び岩倉市と連携しこの拡幅工事を推進して、岩倉までを貫通する新道路の青写真を計画済みだが、かかる話が出来ない二市民がいる様では、中断、しばし見合したり、場合によってはご破算にした方が住民の為になる。


二、

毎日の様にジムへ行く。そこには日本の新聞が各紙置かれているが、目を通すとただでさえ日本語と英語で頭の中が混乱している我輩なので、一切目にしない事にしている。見なくても内容が想像に固いからだ。未だ一年前には、「明るくサラブレットの毛並みの良い麻生を次期日本の総理に最適」と持ち上げ賞賛していたが、昨今では各紙、各週刊誌は「麻生支持20%、不支持60%」と報じている。無責任でまるで夢遊病者そのものだ。

要するに、日本国民の過半数は、
第一に、政権を従前と違った人々によって行われる事を願っている。
第二に、従前「自民党政策」と違った政策を願っている。

しかしながら、この二つを国民が同時に為政者に求める事は、無理である。
因って、政策が同じでも良いので、先ず自公と違う政党によって政権、国家の舵取りが行われる事を実現しなければならない。選挙の投票しかない。
かかる後に、現野党の民主党によって、自民政権と全く違う政策遂行が実現化されるべきで、事実国民はこの過程を熱望している。
之が偽りの無い日本国民のあるべき未来像で本意である。

三、
今此処で我が主張の佳境に入るが、かかる意味、思考回路に於いて、自民党でない党が政権を握り、暫く経って、このあるべき党に対して国民が非難、批判を開始した時に初めて真の日本の夜明けである近代化は始まると断言できる。

既に民主党は馬脚を現している。残念極まる。
四、
既にもうこの時期、このあるべき党の民主党は、馬脚を露わしつつある。政策なき政局に長けた党体質の実態だ。
1、
具体的には、一宮、尾西、犬山、江南という選挙区、即ち蒸気機関車による東海道本線と大量織物生産技術工場という恩恵で、イギリス産業革命の申し子に対して、当党はこの地に縁もゆかりも無い東京人を次期候補に推薦している。
大都会育ちで、屈指の国立大を卒業した者よりも、田舎育ちでありきたりの国公立大を卒業した者の方が、人間性はある。
何も国土を守っているのは国軍に限った事ではなく、僻地で農耕に従事している者も国土を守っているという発想が必須だ。欧州では特に仏に見るが如く、この理念は強く農家には毎年多額の補助金が給付されているのは、一例だ。こんな明快単純な理論が、どうして日本の政治家は分らないのかと不思議でならないそれなら超過密首都の東京は、勝手なときだけ米や露に頼るな!欧州では最過密国のベルギー、オランダ、ルクセンブルグに終始頼ったらどうなのか!理不尽極まる。

話は飛躍するが関連するので更に展開する。
この時期に年賀状を書くが、第一関節が曲がらくなって、字に力が入らない。日本語を書かなくなったからだ。しかしながら、日本語を書いても我が啓蒙思想が表現できないから意義はない。
もっと英語で考え書く習慣を習得しなければならない。
この意味に於いて、日本のプロ野球選手の若く有力なの方が米大リーグに憧れ渡米するのは理解できる。
だがとっくに最盛期を過ぎた多くの選手がそれでも余生を米でプレイしたいと願うのは、我が身は良く理解できる。実名の列記は差し控えたいが、なんとこんなベテラン選手が多い事か!
野球選手だって、私の様な一介の国民だって、目指す所は同じだ。
ただ日本の政治家だけは、誰もがこの国にドップリと浸かり渡米して自己研磨をしようとしない。

2、
某私立中高一貫校経由の元犬山市長石田を同様に当党は推薦している。呆れてものが言えない。
石田は、教育改革を「少人数学級」と位置づけていたばかりか、この地の代表と勘違いして上京して教育論を何度も説いている。一番教育論に言及すべきでない不適格且つ臆病者が口にしていては、行われであろう教育制度改革は、頓挫の憂き目に会う危険性を増す。
そもそも私立一貫校へ通いながら、結果は私立大進学しか果たせなかった己の無能さを恥としないだろうか?彼にも取り巻く親族が身近にいることだろう。
全国統一テストに何年間も参加しなかったのは、全国市町村で犬山市ただ一市であり続けた。
市民も議員も教育委員も無能にして恥知らずの石田に教育改革の指揮を執って欲しくないからという経緯に本人は耳を傾けるべきだ。石田の如き人物が犬山の教育に介入すれば、争いの火種を作るだけだ。彼にもきっと親、兄弟がいる筈だ。親族のご意見も拝聴すべではないのか?

処で、全国何千ある市町村名で「犬山」は、犬吠埼という町があるがベスト5に入る。
とあるジムでトレーニングをしていると、春、夏、秋の夕方には市民が犬を連れて散歩に来る姿を必ず目にする。犬種の殆ど全部は、ヨーロッパ原産種で、日本犬種は皆無といってよい。
かの賢く仕事好きのエアデールテリアもシェパードも犬の一種だ。量より質重視の市民感覚の聡明さだ。

尚、同じ穴の狢、同類の名古屋市長にへばりついてきた松原も今期で辞退する。いい傾向だ。歴代大名古屋市長の中で、見るからに品がなく誰が見ても歴代市長中一番見劣りしていた人物だった。

3、
岐阜市長細江は、大多数の市民の声を無視して市内に名門伝統校の市岐商を廃校にして、京都から某私立中高一貫校を呼び込む計画だった。市議会で彼の陰謀は反対多数で否決された。公立高経由の国立大卒業者だが、「曲者とは彼の様な人間をさす」。
そもそも前知事梶原もこのおっさんもただ遺伝的に優れた記憶力を以って生まれ、その上家庭や取り巻く地域環境が勉学遂行に適していただけの事だ。それ以上でもそれ以下でもない。注目すべき人間的価値は殆ど無い。岐阜市民は、惑わされてはいけない。
この人物もまた民主が推薦している。

麻生氏が、病院経営で日々医者達に囲まれ取り巻きされながら、「医師には人格に問題のある者が多い」と発言されて物議をかもし出したが、一面真理をついている。吉田元総理のお孫さんが言うに相応しい台詞だ。
再度強調するが、我国最難関資格、極少の世襲者、最高学歴者で占められている判事でも下す判決は、頻繁にしてデタラメの連続だ。いわんや知事、市長等推して図るべきはた易い。
元知事梶原にしても優れた遺伝子と家庭及び地域環境によって、公立高経由で京大を卒業し旧建設省で33年間楽をして高収入を得た。これで元は取れた。之で十分だ。
後の知事職が過分の営利だ。「過ぎたるは及ばざるが如し」だ。定年近くまで官僚に就き後政界に出る輩の所謂官僚政治が国を滅ぼすのは万国の共通だからだ。
50近くある全国地方公共団体の内、岐阜県の様に100人以上の職員が関与して裏金捻出課なるものをつくり尚且つ検察庁の手入れを予測するや、多額の現金と関係書類を焼却した県は未曾有だ。結局泣いたのは、県民であった。勿論梶原は一味であったが上手く逃げた。細江は、梶原ラインの人物だ。

この場を借りて、某京都本部の私立校に忠告したい。何時までも当市に固執せずに、速やかに他県他市に矛先を変えて、乞食根性で事に当るべきである。

4、
前細江は、某私立中高一貫校が市内に来れば、岐阜市は財政が活性化するという。全く手に負えない曲者だ。
ならばここ江南市には、創業者の健全な意図を無視して、後進の地域住民が、戦前の実業学校を中高一貫校に変えて、県下の多くに市町村の中で群を抜いて毎年難関国公立大への実績を上げているが、県下屈指の財政難市からどうしても逃れれないのは、どうしてなのか?
大学進学実績は確かに素晴しいが、戦前の岡崎中、一宮中、四中「現時習館高校」、一中「現旭丘高校」等は、スポーツでも強豪校であった。戦後の東海高校、滝高校は、スポーツの方は全く駄目なのは、親の薦めで進学しただけで遺伝的素質、天性そのものが劣るからに他ならない。
この市は、有力大学への進学では県下屈指だが、財政面では長年連年県下のビリだ。かつて存した企業も次から次へと出て行ったし、一人前の法人の工場誘致は望み薄だ。従って、一部の市民だけがヤケクソになって、益々当校をより有力な進学校にすべく猪突猛進している。この堂々巡りは何時まで続く事なのか?この現状に大多数の市民はウンザリしており、市政の方向転換、変化を渇望している。

中高一貫校経由で難関大学への進学を果たす事は、オリンピックで薬物を使用する事より遥かに反社会的である事を、善良で正直な岐阜県民、岐阜市民、愛知県民、江南市民はわきまえているからに他ならない。多くの市民は、会社員である傍ら一善良な国民としての良識を身に着けている。
お前の様な生意気なおっさんが政治の舵を操っているから、隣国の中国、韓国、ロシアから善良な市民までも巻き添えをくい益々馬鹿にされるのだ。


アメリカの政治指導者は、国家社会のために命をかけた経歴を有する方ばかりだ。従って、年のわりに外見上老けて見える。国民は心すべきだ。
五、
アメリカの大統領戦で目前にしている事は、政治の指導者は、国家社会のために国民と苦楽を共にした上に更に国家社会のために身を挺して命をささげた経歴があること、その際の9死に1生を得た幸運にも生き残りである事が必要条件になっている。
ちなみに、現ブッシュ米大統領のお父さんは、1944年マリアナ沖海戦で父島地上砲台の砲火を浴び乗機が撃沈されたし、二度目には撃沈され同乗戦友二人は戦死している。潜水艦艦長だった我が祖父の弟の叔父さんもで東シナ海でロシア航空母艦と交戦し、蟻の様に大海に投げ出されて乗組員全員銃撃乃至溺死したが、一人だけ丸二日浮泳し救助された。従って、生まれ故郷宮田では親族全員会して、葬儀の段取りをしていた。
詰り、ブッシュ氏のお父さんでもマケイン氏でも我が叔父さんでも、言うまでもなくその時点で戦死されていたら、現大統領も生まれていなかったし、中学を飛び級で卒業せず首席で八高に入学し教育者であった叔父の子「父のいとこ」も戦後の最悪教育制度下にあっても超難関国立大へ進学された父のいとこのお子さん達もこの世に生まれていなかった訳だ。捕虜生活5年半、独房生活4年のマケイン氏も1967年に自飛行機が砲弾を浴びて水中に放り出されて蟻の様に海上に投げ出された。勿論戦死されていたならば、美しい奥さんと再婚出来なかったしご子息も存在せず今時の米大統領戦に出馬出来なかった。ペイリン氏は、5人の子供を生み育てた母親の役目に加え更にアラスカ州知事だ。少子化を口実に愛なき仲で刹那的快楽に溺れ、皮が傷ついたリンゴの様に子宮卵巣を壊し不妊症に陥っている多くの日本女性は見習うべきではないのか。しかもアラスカはさしずめ未開発地で人口希薄な日本の北海道や東北や沖縄に相応する。もし総理が副総理にかかる僻地の首長を指名したら、猛攻撃を受ける事間違いなしである。

マケイン氏は1936年生まれ、バイデン氏は1942年生まれ、相対する麻生は1940年生まれ、民主党党首は、1942年生まれ。此処で見るからに明白なのは、日本の政治家が如何に苦労知らずのボンボンで、如何に年不相応には若く見えるかである。
もう何を言っても聞く耳を持たない反抗的且つ強情な専制政治の象徴、日本の自民党の政治屋群である。この惰性は、隣国中国、韓国から益々馬鹿にされるばかりか、近隣諸国にも恥となり重荷となっていく。長年の楽して大収入の途を断つには、選挙しかない。


六、
さて今回はこの辺で総括し次の如くの結論に入る。

1、
人様の事等どうでもいい。犬山を管轄する選挙区6区で民主党が推薦する、身の程知らずの石田が落選しようが当選しようが、どうでもいい。
近隣都市の岐阜市長、人間性に問題がある細江が、京都の某私立校を招来して、中高一貫校を導入しようがしまいが、どうでもいい。
問題は、次期衆院総選挙で、江南、一宮、尾西を管轄する10区で、この地に無縁な東京育ちの杉本を推薦する、民主党の暴挙、非常識さだ。何故、この地生まれ育ちの生粋の北尾張人を推薦しないのか?である。
豊かな財政は、自然と学問とスポーツに長けた人材を無尽蔵に生み続けるものだ。蒸気機関による鉄道開設と織物技術での大量生産は、英産業革命の象徴であり、よってこの地区はイギリス産業革命の申し子だ。この選挙区には、箒で掃いて捨てる程に公立高経由の優秀な人材がいる。
しかも、ちなみに東京育ちで東大卒よりも、地方の田園都市、山岳地帯育ちで二流の大学卒の方が、人間性は豊かだ。国土は、自衛隊だけでなく、全国津々浦々に居住している秀英達によっても守られているのは、完全に今や世界の常識である。

2、
我が住家と拡幅計画済みの市道間の変則型の空き地の買い取り権は、世の如何なる他の者よりも、我が家に優先権が存する。最優先権がある。直ちに、人権無視の既存の地主二人から交渉して買い取る権利がある。

インフラ分野の公共事業は、一住民の基本的人権を破壊しない事の上に遂行されるもので、さもなくば、即時中断、変更乃至中止されるべき性格を有する。
35年以上前に建立された我が住家は、低炭素地区であったが市主導の道路拡幅工事の遂行で、完全に今や高炭素、汚染空気地区へ変貌した。森伐採が、地球温暖化の最たる要因であるのは世界の報道機関が流す毎日のニュースからも議論の余地は全くない。我が住家については、道路との間の空き地に植樹し、以って汚染空気の消化と新酸素作出を実現化し、人間の住家としての原状回復を計らねばならない。

この地は、既に35年前の日本全国何処でも内需拡大、高インフラ遂行の真っ只中でもクレーンの仕事が甚だ乏しかった地域であった。大型運転手の憧れの的であったクレーン資格を取得しても給料は大型運転手よりも少なかった地域だ。従って、生まれ故郷を後ろ髪を引かれる思いで、愛知の南方へ出た次第だ。
何はともあれ、空き家であったとは言えども、厳然と我が家は、この地区最古から建っていたのだ。
計画予定の市道と土地買収を強制された立ち退き民家宅地間の余剰、変形、変則型の土地に関しては、買取権は、文句なく如何なる永い年月が流れようが、我が家に留保されているのは、全く議論の余地はない。

この法的根拠は、既に北方より何百軒何千軒をいう、来るべき拡幅による道路の直隣接に位置する家主達全員が、買い取って来たという事例を引用、事例に基づくまでもない。

現地主二人は、この地を駐車場に供しているが、ごくごく近所に駐車場は多く又借主が無いままの空き状態になり続けている事を付記しておく。

3、
1946年以来、途中細切れ的に他党が短期政権を担当したが、役60年間自民党の一党独裁専制政治が続いた。もう国民の圧倒的多数は、「正直者が浮かぶ政治」「信頼される政治」
の決まり文句には、うんざりし聞き飽きてしまった。ならば貴方達政治家は、正直者か?と反論するまでもない。
大多数の国民は、先ず第一に違う人達「自民党に属さない」に、次に第二に違う政策「自民党発想でない」を宿願としているのが実情だ。しかしこの二つを同時に実現するのは無理だ。

従って、民主党政権が登場して、しかる後に暫く経緯して、「何だ、政策は旧来と同じではないのか?単なる政局に長けた党だったのか?」と、民主党批判が出た時に、日本の国際的民主化、オープンな競争社会は夜明けとなる。

4、
散々之まで上記の如くに、日本社会の後進性を指摘して来たが、この如何にまだまだオープンな競争社会実現と結果生じた敗残者に対しての思いやりと物心両面での救済では、他国から遠く遅れているとは言えども、「犠牲なくして幸せなし」の理念は、この国にも可也根を下ろし続けている。いわんや、人の上に立ち指導者となる人物像は、国民と苦楽を共有して来た履歴を有する事の他国家社会、地域へ身を挺して己の命を捧げてきた履歴を有する事が必須条件である。
ちなみにクレーンを降りた我輩は、生まれ故郷のこの地に帰ったので、長年ご無沙汰していた宮田小、宮田中の同窓会に毎回出る様になった。同級生の中でも当時勉学スポーツでどうしても勝てなかった優等生はいずれも、ご両親が他界したり、ご兄弟が肺結核で他界された友達であった。

官僚政治「定年近くまで官僚に従事しその後政界へ進出する群による統治」は、町医者と同様で、傾国に繋がると言われるのは、万国共通だ。
又世襲政治家の横行は、人間社会は単に遺伝子DNAが物を言う競馬界と違うと言う認識、個々人の知識、経験、体験がより物を言う事への警鐘である。
タバコ屋の隣の床屋さんやすし屋の隣の酒屋さんとは、お給料自体も違い同一視されるべきでは断じてない。
しかし、何と皆さんと同様に年老えども頭髪ふさふさ肢体健全で若々しく見える政治家が多い事か!まるで室内犬種の様だ。少しは39歳に身障者となった米大統領ルーズベルト氏を私達国民は想起すべき要がある。

5、
如何に多くどんどんと中高一貫校卒業者を作出しようが世に貢献できる者は期待出来ない。
大都会に如何に多く戦前の旧制東京高等学校の様な学校を作っても然りだ。
最低条件である「国民と苦楽をともにする」要件に、能わずだからだ。
ヘルパーさんの姿を見て何時も思う我輩だ。
又、実現不可能なオープンすぎる青写真も「過ぎたるは及ばざる如し」だ。何故我輩は、今まで一度も大学進学への選考手段に、「全国共通学力テスト」を必須としてこの成績を参考すべきを上げなかったのはこの為だ。

6、
再三主張する様に、我が年金は、この道一筋タクシー乗務者の年金よりも遥かに少ない。
ならば、来るべき日本政府は、単一民族、単一言語の蓑の庇護の下をいいことにして、日本語だけの職にドップリと生涯浸かっている輩の、週刊誌、新聞の記者や退役タクシー乗務者に政府は、この世界的不況期に、国民総ハクチ化に瀕し国家教育制度改革の急場に際して、救済を求めたらどうか!困った時だけの神頼みは余りにも虫が良すぎる。


私程幸せ者は珍しい
7、
私ほど幸せな者はいない。隣村扶桑町はシンボル木を木の王様樫にしている。全国でもたったの20ほどだ。少し離れた市の犬山は、エアデールテリア、シェパード、秋田犬をも包括する犬を市の地名に取り入れている。石田の不当な教育界侵入や民主党の誤った推薦等長い歴史の中では瞬きの瞬時に過ぎない。大口には一昔前に多くの行政参画者や村人が他村に負けじと当時では非常識極まる猛勇を持って偉大なる努力、犠牲をお払われた故に、北尾張地方の最たる財政豊かな町になっている。ジムも整っている。
一宮市は、正に全国一の「英産業革命の申し子」で今でも物心両面で豊かな名残を留めている。江南市には、最北端に濃尾平野を何十何百世紀にも亘って育んだ木曽川が横たわり、住民の為に再登板に満を持している。濃尾平野の南方、名古屋港は、物量、金額両面で日本一の貿易取り扱いを誇っている。岐阜県は、地政学上、人文地理学上、日本国の重心点である。東京、大阪等問題でない。総じて我々のよりオーピンな競争社会「93制教育制度」に向かっての過程でジタバタと慌てふためく必要は全く無い。



木の王様樫の木をこよなく愛する英のBBCの皆さん!我が家の長年の住民となっている米のCNNの皆さん!一企業人である前に一国民である事を認識している聡明な圧倒的多数の全国の公立高経由の皆さん!私立の中高一貫校の増加は日本社会へ貢献する人物の増加に比例しない事を十分弁えている、公立高経由の聡明な国民の皆さん!量より質を重んじ、人間の価値は寿命の長さだけで計るべきでない事を認識されている独の皆さん
目標は一つ ー よりオープンな競争社会に欠くことが出来ない、93教育制度の国法に基づく実現為の議員選出と益々進行する地球温暖化に際し各人の己の基本的人権の確保と同一職場に拘泥する事なく研究、試行錯誤、進歩と言う繰り返しによりこの国で渡世して来た者が引退後相応の年金を受給可能な行政 ー を目指して不断の挑戦を続けましょう!
この我々の目標に、行く手を阻む謀反者には、ありとあらゆる手段で払いのけて、前進しましょうね!お互いに連絡を密にして、手に手を握り助け合いながら、、、

之から日本は益々寒くなって行きます。体に気をつけましょうね。

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小澤成次