当市には、春日井の高蔵寺に次ぐ県下第二位の旧建設省の外郭団体、日本住宅公団建造の江南団地がある。当時国税で造られたコンパウンド、コンプレックスなので、大規模なので空き室が多い。それに、当時国民の税金によって建てられた代物なので、基礎工事に手抜きがないばかりか構造物自体にも十分に鉄筋と生コンが投入されており、耐震に対する強度、耐久度は、折り紙つきで、他のあらゆる建物の追従を許さない。阪神淡路地震でも、証明済みとなった。生命、財産の保全よりも外観のスマートさと工事コストを優先した世襲議員の代表格、小泉内閣により改革の対象に目され民営化に下った非運の経緯を有する。残念至極の経緯であった。それに、建ぺい率も先進諸国並に余裕があり、敷地内には多くの木々が植樹されて空気が済んでいるし、至る所に頑丈なベンチも設置されていて、憩いの場に相応しい。事実私は、たまに大阪から帰省の折りは、必ず付属の喫茶店に入りベンチでのんびりと英気を養うのが常であった。
又、住居者の駐車場用地も周辺地域住民に迷惑なき所に確保済みである。流石に日本国の建造物だけあって、付近を通るだけで威厳を否応無しに実感する。
この上ない堅固、荘厳な国家建造の大コンプレックスを本市は有し且つそこには余裕があり当然空き家が多いのに、何故に、既に人家が厳存する、緑豊かな地域に三河の業者を通して、手抜きで無い物づくしの安っぽいアパートを乱立させ続けるのか?当宮後地区の地主の無能さに呆れる。不可解は尽きない。避難所、ベンチ、一本の木もない。
この市の質は、学歴本位の某私立校出身者が行政に蔓延っているので全国でも最下層に属する。中高一貫校出のスタンドプレイヤーは、とっととへっこめ!これ以上正直な市民は頑張れない、踏ん張りが効かないからだ。
行き着く先は、進学予備校と市憲章が掲げる、文化香る街、栄光の街に程遠い、藤の街、最下層の木種藤で集客する街との汚名で名高い街へと落ちぶれている。しかし、「職業に貴賎なし」他市から収益を計ろう!
第二次世界大戦以来の世界的大不況の中でも、米国は最大の被害国だが、米不況は秀吉の退陣で以て尾張藩が力尽きたのと酷似している。「藤に締め上げれられた名木だ」。よくある話である。
再起する底力、潜在能力がある故必ず早晩再起する。
心配無用!時が解決してくれる。
4)
「神は、この狭い島でも遍く人民が平等に繁栄する様に、各地に大小様々な沖積平野を造り給もうた」
古今東西を問わずに、洪積台地に文明、文化が芽生え長く栄えた例がない。
しかし、永年の懸案事項、遷都問題は、例え国民の同意が得られても多額な費用が要される故に、焦らずに次世代に委ねるのが賢明だ。大きな教育制度改革が最優先だからだ。
因って、民主国家群の諸首都の中の異端児、「馬鹿殿、東京」とは当分の間は、適当にあしらいながら、機嫌を取りつつ協力するしかない。人にも国家にも運命があり、判断基準を善悪だけに基ずくべきでない。
全国津々浦々の国民の圧倒的多数を占める、公立高経由の皆さん!
露と共に我々モンゴロイドの一角、日本民族に嫌がらずに付き合って頂いている米の我が家の永き住民となっているCNNの皆さん!
世界一流の教育制度を誇る英のBBCの皆さん!
研究、進歩で名高い独の皆さん!
着実にこの国にも、平等にしてオープンな進学制度、詰り93制教育制度が、全国各地で芽生え、結実し、花開きつつあります。ゴールは、目前です。最後の最後まで油断せずに、謀反者をあらゆる手段で払いのけて、手に手を取って助け合いながら前進し続けましょう!
もうこれ以上公立高経由者は頑張りが効かない。満身創痍の程度は、修正、回復不可能な打撃だ。
私立中高一貫校経由のエセ指導者は、己の非を悟り、さっさと自らの身を処してくれ!
よく心なき者達から、「公立高経由の者には頑張りが足りない。もっと頑張れ!」という声を聞く。本当にそうだろうか?
実情は、「公立高経由の者には頑張りが足りないのでは断じて無い」「頑張り過ぎて身も心もボロボロに傷付いて衰弱している。満身創痍で忍耐の限界をとっくに通り過ぎている」のだ。
解決策はただ一つ、戦後の成り上がり者である、私立中高一貫校経由のエセ指導者はこぞって「結果良ければ全て良しの呪文から目覚めて、自ら率先して自らの身を引くことだ。」この一言に尽きる。
道路側に直面する我が家に隣接する駐車場の家主は、悪質なつる性の雑草を放置し我が家の冷暖房器を直ぐに破壊するのみか、何度忠告しても、故意に有毒な殺虫剤を散布する。
能書きを垂れずに、己の庭に殺虫剤を散布して「他人の痛みを知るべし!」だ。
1、
我家の屋敷には、寒気の冬場を除いては、雑草が直ぐに生い茂るので、最低年4~5回はシルバーエイジの方に依頼して、草取りを挙行している。除草剤を散布すれば、確かに当分の間は雑草が生えて来ないが、土壌そのものが変質、衰弱するので、愛用している大切な庭の木々に於いて、本来の成長を妨げるばかりか、塵埃と化して風に乗って人体にも発癌性の害を及ぼす。要するに、悪質な雑草と良質な庭木が欲する土壌は殆ど合致しているので、住家を囲む身近な環境との対応に当たっては、人の手による草取りと言う手法が、一番環境に適合している訳だ。
2、この項2では、前項1を更に展開する。
人体内には、人体を蝕む悪質な雑菌、腫瘍、ガン細胞等が入り込んだり、生息したり、増殖したりする。若い頃は抵抗力が強くて、少々の雑菌ぐらい、持ち前の抵抗力、免疫力でやっつけてしまう。抵抗力が弱った老年期に入ると、厄介だが外から薬という助っ人が必要となってくる。日常生活に支障を来す腫瘍や人命を脅かす悪性のガン細胞となると、年齢に関係なく、放置できなく医学の処置を要する緊急性が伴ってくる。この処理に際しての一番の問題点、課題は、後者2つと言えども、善玉である良質の血液、筋肉、神経に囲まれて同居している実態を考慮すると、換言すると、この善玉迄もやっつけ駆除してはならない命題に達する。善玉までも序でにやっつけると、壮年層、老年層ではもろに体力が衰弱して生命が危うくなったり、基礎体力を弱めて天性の寿命を縮めるからだ。否、精力旺盛な青年層と言えども、体力に多大な負担がのしかかり、早かれ遅かれ後遺症が併発する事確かであるからだ。
「最少の犠牲で可能な限りの利得」は、改革に臨む、同時代に生きる全ての人々に課せられた、永久の命題だ。
よって、改革によって新生した、最残者には、物心両面での思いやりと経済的救済措置が施さなければならない。徹底的にしかも末永く!
3、
同様に我ライフワークである今日本全国津々浦々で破竹の勢いで芽生えつつある教育制度改革「93制教育制度」の過程でも全くの然りである。如何にこの国の学童、生徒、学生の殆ど全部に公正平等にしてオープンな進学選考を約束する教育制度改革と言えども、歪み即ち犠牲は起きるので之を最小限に押さえなければならぬ。けだし、最小の犠牲で最大の利得は、古今東西を問わず改革遂行過程に課せられた、同時代に生きる人々に果せられた永久の命題だからである。同時に歪み即ち敗残者には、必須的後続命題として、心身両面での思いやりと救済措置を徹底的且つ永続的に施さなければならぬ。
学校教育だけが人を幸せにするのでは、断じてないので、学校教育の高低でもって、人を評価するは間違っている。ましてや我国に見る様に、エスカレーター式に進学を果たして高等な学校教育を享受しても価値は全くない。
この程度の私学は、若い女性の結婚に備えての、お茶、和服着付け、礼儀作法を教える、極く平易な女性向けの「習い事教授」に従事すればいい。
4、
1)
先ず思い当たるのは、片田舎や山村地区では、小学校と中学校が統合される局面で、小中いずれかの学校への通学距離が大幅に遠くなる場合が当然想定出来る。通学だけで精根を使い果たして、到底学校現場での授業には身が入らない生徒達への配慮である。2)次には、現代列強諸国の首長は、殆ど全部それぞれの国の名門大出身で教養高い方々である。しかし、学校教育それ自体だけが、
人類の発展に資すると断言してよいのか?と言う問いが生じる。個人の幸せに確かに資すると断言してよいのか?
学力教養の高低で人間の価値を計ってよいのか?
といったクェスションである。
世界史に最高の偉大な発明者の一人に名を連ねたエジソンは、初等教育の学校へすら通っていない。ライト兄弟も学校で高等教育をうけていない。遍く分野での、人類の生存に不可欠な流通機関の屋台骨を支える大型自動車や大小種類を問わず船舶の原動力、詰り大型強力ジーゼルエンジンの発明者のジーゼルも日本の私学に於ける様にエスカレーター式の形だけ大卒の肩書を付けた人物ではない。形だけの大卒の肩書に奔走し、ジーゼル車を嫌う事で名を馳せている石原都知事とはこの点までも好対照だ。
どんな高学歴の者よりも人類の進歩に役立っているほんの一握りの好例である。
2)
日本の文化文明の明日は、先進欧米諸国と親交を深めてそこから学び取る事から始まる。原理原則を発明する才は、我々邦人は否アジア人は到底コーカソイドにはかなわない。従って、英語、ドイツ語、フランス語、スペイン語、ロシア語、フィンランド語等などの同時通訳者は、日本の全時代が最も要請している一職業と考えてもよい。語学の習得は、早期早年からが大切である。この観点から、有名公立高へ進学しなくても、否家計が許さなかったならば、何も高校へ進学しなくても、これら諸国に飛行、定住し以てそこの国語に精通するならば、有名公立高校卒業者よりも遥かに国家にとって有益且つ貴重な人物に成長を遂げる。現に、学歴は戦前の小卒だけだが、独学で東大教授へ昇進されたしかも超高名な植物学者もいる。
3)
真偽の程は定かでないが、3~4基のPCを使っての在宅での株売買の個人取引で、わずか5年間で2百万円を5千万円に増やした青年がいると言うのを、週刊誌の記事で読んだ。もし之が万が一本当の話ならば、勿論最高に良質な業者を選定したとは言えども、そんな並外れた、お化けの様な才がある方は、何も無理をして有名公立高校や一流大学へ進学する要も又卒業する要も毛頭ない。
4)
交通至便な財政的富裕地域においても、9年制学校経由の後、公立高校へ進学出来なかった者達にも物心両面での思いやりが施されねばならない。入学試験の最大の武器の一つとなる人間の記憶力、思考力は、多々遺伝に起因するからだ。不幸、不運にも親からそんな点での遺伝に預からなかった若者には、入学試験そのもが不利となるので、断じて冷遇した行政や社会対応は、許されない。
5、
前4項を総括すると、如何に93制と言う生徒、国民にオープンな教育制度がこの国で実現しようとも、「学校教育だけの物差し、学歴だけで人間の価値を決める」のは完全に誤っている。この地球上で人類の進歩に貢献した人物の圧倒的多数は、高等な学校教育を授かっていない。既に敷かれた線路の上をより早くより遠くへ移動するだけが全ての人類に課せられた共通にしてしかも永久の命題ではない。私立の中高一貫校を経由して、無理して肩書きだけの大学教育を受ける必要は全く無いという答えは明らかに正解だ。実際の国、地方公共団体の行政もそうでなければならない。
今此処で我主張は、佳境に入っている。これに関しては、著作を多く世に刊行するに値するが、取り敢えずかい摘まんで次項7で、我論点を展開する。
子供は平等に愛さないと家系は、崩壊に傾く。中部経済界に於いても又然りである。
愛国理念と純血主義は、一見同じだが、全く異なる。
モンゴロイド仲間の、露陣営下の北朝鮮は、本当に酷く不幸せだろうか?疑問符は尽きない。カンボジア、ビルマ等の仲間に直視しよう!
6、
我住処を包括する尾張地方には、近年まで日本経済を牽引して来たトヨタの本社が所在する。自動車界での関東の雄日産と中部の雄豊田の違いは、コーカソイドのゴーン氏を筆頭幹部に置きマルチ文化志向と単一文化固執との違いに起因する。欧州諸国は、単一文化踏襲が得策だが、ユーラシア大陸の極東に浮かぶ我が国の未来は、マルチ文化志向のみに存する。トヨタ幹部の面々を拝見すると、見るからに意志薄弱で優柔不断で日和見主義、ご都合主義であるのが一目瞭然だ。品が無く卑怯さがひしひしと肌身に伝わってくる。もしこの会社が、愛知以外の地で誕生していたらと、思いを巡らす必要性を、特にトヨタ創業者一族幹部に激しくご注文したい。要するに、創業者一族残存継続結構だが、副次的幹部登用に於いて、同業の日産、マツダの人事登用を無視し続けてよいものか?
特に、マツダは、本社を尽きる事のない遺恨の原爆投下地に置いているのに、この物分かりの良さだ。
結論付けると、要するに日本の中心重心点に位する濃尾平野が育んで来たトヨタには、この国を東京と比肩して牽引しようとする意図は更々微塵も見受けられない。
こんな点に於て、栄光と勝利を目指す正直で有能な中部人は、この一企業にのめり込んで、便々と神頼みすることなく早く見切りをつけないととんでもない火傷を蒙ることとなる。
他の多くの優良企業にも注視するのを怠ってはならない。
子供は出来る限り平等に愛さないと家系の崩壊へ繋がる。
「如何せん、無い者からは取り様がない」この真実を他のどの企業よりも良く弁えながら、厚顔にも単一文化主義、純血主義をゴキ押ししようとするトヨタ首脳陣、特に創業者一族首脳には、呆れるという他言いようがない。
約440年前にこの地現在の愛知県から日本統一という難題に取り組んだ偉人が生まれた。信長だ。彼は、尾張平野が生み出す比類ない豊かな経済力、詰り米生産量と種子島経由で輸入された当時の外国からの最先端武器を果敢に取り入れ半ば独り占めした逸策との故に、多くの戦で連勝したという快挙に最大の要因をなした。詰り鉄砲というコーカソイド発明の画期的武器の積極的導入と活用だ。勿論キリスト教も歓迎姿勢をとった。優れた新しいものを、物心両面で導入した信長の統治理念は、その点でも後に外国勢力を一切遮断し、進歩より平穏無事を重んじて鎖国日本を確立した、スタンドプレイヤーの家康のそれと正反対だ。
何事も利用価値は不完全とは言えども、原理原則を発明するのは、並大抵の才能と努力ではない。けだし、この人様が発明した原理原則を猿まねして、品質改良する邦人の18番とは難度、訳が違うからだ。
当時の区分地域であった藩の経済力の物差しを成した米の生産量、此をどの他の地区よりも豊富に育んで来た温暖気候の広大な濃美平野は、同時にこの期に信長、秀吉という人物を介して「国家統一」という前人未到の偉業をほぼ達成させた訳だ。
この尾張の地の利と人脈による偉業をみすみす逃したのが、幕府を江戸に移し逃がした三河人脈のスタンドプレイ役にすぎなかった家康だ。即ち、尾張人脈の辛苦の犠牲、基礎を底無しに台無しにした訳だ。祖先が築いた資産を、放浪息子が浪費したり、ドンと訳の分らない慈善事業に寄付して、なくしてしまう例は、何処にでもある例だ。
家康訓に有名な「人の人生は重荷を背負うて遠き道を歩むが如し。急ぐべからず。、、、、」がある。狭い狭い大阪平野よりも狭い三河藩が、多くの他の藩を征伐し国家統一を推進する過程で、本当にそんな余裕があったろうか?
私は断じてなかったと確信して止まない。
何故に、ほぼ天下統一を成し遂げた、尾張藩や自藩とは縁もゆかりもない、しかも当時伝統も文化も乏しい未開の地「武蔵」に京都から遷都して幕府を置いたのか?不明瞭な謎は深まるばかりだ。大体「洪積台地」に、古今東西を問わず、文明、文化が生まれて永年栄えたためしがない。
あったら、教えて欲しい限りだ。
「歴史は繰り返す」「一度ある事は二度三度ある」「この道は何時か来た道」という諺が正に目前で今起きつつある。即ち、この濃尾平野が、多くの犠牲を払ってトヨタを日本一利益企業の座へと育んで来たのを、偏狭な単一文化及び純血主義で、此を「愛国主義」と曲解して又もや取り逃がしつつある。
山間の漁村気質の偏狭さには、スケールの小ささには、三河地方や静岡を含めた中部の東海人はもううんざりしている。「我社が開発した自動二輪車」とか「我社が世界に先駆けて開発した、低炭素の電気自動車」とか「この国で生まれ磨き上げられた名車、、、」の謳い文句には、もう聞き飽きた。うんざりだ。と或る新興宗教の我田引水的ほら吹きと全く同じで国際社会では通用しないのだ。
そもそも大体、如何に気候温暖地帯とは言えども、人間が住む空間と言う意味に於いて狭い、河川に縁遠い山際の平地は、画期的発明を生むパワーが住民の中にはないのは、自然との共生に欠けるからだ。
この思考回路は、丁度土地無し、家無しの低家賃として知られる、蜂や鳥類の様な生活を強いられる、所詮府営や県営住宅の住民には、学問、スポーツ、経済分野で傑出した成果を求める事自体無理という推論へと、重なり伸びる。
ただ一つ断言出来る事は、日々の職場とか居住を、蜂の巣の様に高層ビルの一室とかリアス式海岸に追い込めば、「須く人間は、ロマンを忘れ、ハングリー精神や緊張感を否応無しに覚えて、現実を肯定し現実的に渡世する」ものだ。しかしながら、この様な環境からは、偉大な文化、文明が生まれた試しがない。「この国で生れ、世界の仲間からも育て上げられた名車、、、」と言う心の余裕、寛大さがないものかと、耳にする度に痛感する。要するに、愛国心と単一文化、純血主義、国粋主義は、一見同じに響くが、実は一線を画さねばならない。
彼の大戦で、邦人は原爆投下で一瞬のうちに何十万人が死んだ。財界に於いて、関西の雄松下でも日本の雄トヨタでもこれらの存立自体姿を消そうが、世界人類のみならず日本国民は、十分に生存出来る。差ほど困らない。ただ、一時期一大ニュースになるだけのことだ。彼等と言えども偏狭な反抗的姿勢に拘泥し、過去の亡霊、呪文に幹部首脳が取り憑かれていれば、第二、第三の原爆投下も止む無しだ。むしろ、進歩、新陳代謝を知らない民族の眠気覚ましとなり、人類の進歩に寄与する。
しかし、一方的に当時の三河人を批判するのは酷である。今日とは全く異なる社会背景を考慮して上げなければならぬ。尾張と美濃、尾張と三河間で多くの血が流れた社会背景であった。
モンゴロイドが主に国民を形成するカンボジア、ビルマ等やサヴァンナと同じで、食うか食われるかとい社会情勢で、藩間の抗争で、殺害しても無罪の時代だったからだ。
名古屋市長戦結果は、誠実で賢明な名古屋市民の良識の勝利を意味した。
川村さん!おめでとう御座います。思いっきり改革を推進してください!
7、
最近の名古屋市長選で、東京の民主党本部や日本の癌となっている自公が推薦した候補者が敗退して、地元出身の民主党所属の川村氏が当選した。心底より祝福を申し上げる。特に、某私立中高一貫校経由の身上でありながら不相応にも愛知教育大卒と言う貧弱な学歴を棚に上げて、大都市の市長に固執し続けた松原の市民への配慮不足、軽蔑、無神経さ、醜態、下品さは、歴代市長の面々に類を見ない下劣さであった。この松原という男は、尾張旭出身だそうだが、ご両親ご先祖は何をされていたのかと、素性が疑われてくる。
尚もこの松原行政をゴキ押ししようとした県知事を中心とした日本の癌である長期専制政治にゆるだらけた自公の推薦候補、詰り暴挙を敗退させたのは、頼もしい資質を持する名古屋市民の素晴らしい市民良識の他の何物でもなかった。
此処我故郷からも県政に、当地私立中高一貫校経由の奥村と言う得たいの知れない人物が、身の程知らず、市民無視、無神経にも数年便々と駒を進めている。
ゴミで捨てる程に高徳な人物が周りにいるのに、現江南県会議員奥村は、何を自負して県政に駒を進めているのだろうか?
地方行政と言えども、断じて慈善事業ではない。
8、
政治は、断じて他地からの無能な渡り者を面倒見る弱き者への慈善事業ではない。地域を発展させそこに住む人々を物心両面で豊かにしなければならぬ命題を背負っているのは多言を要しない。
ちなみに、奥村の住む狭い布袋地区に限定して思索しても、当地には何世代にも亙って地域発展に寄与して来た家系の、福田、岩田、村瀬といった姓を持つ方々が多くおられる。勿論、これらの方々の中には、当地学校区の公立布袋中学校を経て優秀な大学を卒業された心の豊さばかりか奥村より遥かに身体強健で美男子で徳行高い人材も現に多い。地方政治と言えども、公共性を有するので、能無き来り奴の受け皿であっては断じて許されない。
大阪時代にはクレーンオペとして、その晩年にはタクシー運転手として奉職して来た我輩である。再三再四一連の我ブログで力説して来た様に、手元さんや乗客のお客さんが、生粋の大阪っ子か否かは98%以上の高確率で見抜く眼力を持つ我輩である。奥村の面は、この街、この村、この地区で他人と苦楽を共有し正直に生きて来た人相には完全に該当しない。節々の上級学校への入試時期に、当時日本的な常識があったと言うだけだ。これ以上でもこれ以下でもない。
「無い者程強い者はない。」「失う物は無いが故捨て身で臨む者が、一番強い」といった呪文は、傾聴に値しない老人の寝言でしかない。
どうして狡猾に私立一貫校経由を利して辛うじて大学卒の肩書を形だけ我身だけに着けた卑怯者、くせ者に、良識の府県政の場で多く他のツワモノ達と互角に論争出来ようか?
延いては他者を牽引出来ようか?
できるはずが無いのは、小学生でも分かる。
尚蛇足ながら付記しておくが、我小澤家の家系は当地宮田から多くの先人が名古屋等々南方へと移住されたと言う意味に於いて異色家系であり、この一群の方々は、いずれも孫の代に及ぶ迄代々有力大学卒業者は、公立校経由であり、戦後の私立一貫高経由では全くない事案もあり、他地からの移住者そのものを批判している訳では断じてないので、その点誤解のない様に十分注意して貰いたい。
「江南市」と言えば、某私立一貫校と藤の町で知られている。
詰り、型だけ大卒の肩書きを持つ人の数は、周辺市町村中、断トツであり、行政面でもこれ等の輩が最も数多く介入している市である。この意味に於いて、全国屈指の極めて質「タチ」の悪い市である。市民憲章の一つに「文化の高い街」とある。換言すれば、「量より質を尊ぶ街」である。それなのに行き着いた先は、「藤の街」「寺の藤祭り」の体たらくさである。
先日、岐阜市は京都からのある中高一貫校の進出を拒否したが、全くの正解であった。
須く人は、親と名前は変えることが出来ない運命にある。農林省には、森林管理局がある。そこに勤める
係官は、伊藤さんであろうが加藤さんであろうが山本さんであろうが、到底根こそぎ排除する事は出来ないので、他の木々に巻きついた藤のつるを切断するのを職務とする。放置しておけば、他の多くの有益な木々に巻きつき締め上げて、成長を妨げ建築材料として台無しにするからだ。
「職業に貴賎なし」「集客収益方法に貴賤なし」で、確かに、他の財布から市の財政を潤す発想は、間違っていない。
しかし、純粋に視覚的に、あの紫の毒々しい花、奇妙な花房を綺麗だと思う人はまずいない。
「虎は死して皮を残す」の名言がある。大半の木々でも人間生活に資そうと思っているだろう。
住宅にも鉄筋コンクリート造りが浸透したこの国でも今尚木造建築や木の柔らかさの和室では、多種の木々が大活躍しているのに、藤はお呼び出ない役立たずの木、生命力と繁殖力だけは断トツで最下層である。
今時の世界不況で最打撃を蒙っているのは、米国だ。丁度名木が、日本等の藤に巻きつかれて、逆転しているのと同様である。
何時までもあると思うな!「親と金」である。
エセー指導者とスタンドプレイヤーは、後が詰まっている。より有能な人材が列を順番を待っている。
早く身を処すのだ。
よく心なき者達から、しばしば「公立高経由の者には頑張りが足りない。もっと頑張れ!」という声を聞く。本当にそうだろうか?
しかし、実情は、「公立高経由の者には頑張りが足りないのでは断じて無い」「頑張り過ぎて身も心もボロボロに傷付いて衰弱し切っている。満身創痍で忍耐の限界をとっくに通り過ぎている」のだ。
換言すると、解決策はただ一つ、戦後の成り上がり者である、私立中高一貫校経由のエセ指導者はこぞって「結果良ければ全て良しの呪文から目覚めて、自ら率先して自らの身を引くことだ。」この一言に尽きる。この他に方法は何一つない。
生きた国際英語放送のCNN及びBBCの皆さん!
何度も煮え湯を「馬鹿殿、東京日本」に呑まされてもこの国に骨を埋めるしか途がない運命の、公立高経由の皆さん!
多くの自国原産の犬が全世界に、トビ魚の様に雄飛して愛育されている独の皆さん!
モンゴロイド群でもこの国は、研究、進歩、試行錯誤に長けています。
着実に、オープンな入試制度の93制教育制度は復活しつつあります。今後も宜しくご指導をお願いします。
では又会う日まで。お元気で。
一切の転載、引用等の借用を禁ず
小澤成次
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